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金運・発展の |
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悟りを開いたお釈迦様は、在家の人々に対して教えを説かれることが多かった。 特にベッシャー(商人)達にはこのように説いたといわれている。 ※ 高貴な→精神的なレベルが高い人 |
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………もしも人が適当なところに住んで、高貴な人に親しみ仕え、正しい思想を持ち、 あらかじめ善なる行為をしたならば、穀物と財宝と名声と安楽とは、かれのもとに集まる。 午前中に熱心に仕事に励み、日中に熱心に励み、午後に熱心に励む。 これら3つの条件を具備している店主は、未だ得ない財宝を得、 また既に得た財を増殖することができる。 これを読むと、仏教は一切の執着を棄てよ、地位も名誉も金もいらぬといわれたという 従来信じられてきたきた教えとは、全く正反対なことが説かれてあるかのように 多くの人は思うであろう。 悟った人は、金は持っていて持たない。持たないで持っている。それでいいというのである。 その金を自分のものだと思って自分の欲望に執着して使うことがいけないので、その金を 愛のために人を喜ばせるためにつかうことができるならば、金はいくらたくさん持っていても よいのである。 信仰する人は一面的に考えて、金持ちになることは悪いことだ、貧乏でないと清くない と考えて。豊かに富むことを罪悪のように考える人があるが、それは間違いである。 正しく悟りを得ようと思う人は、このような清貧礼讃(貧しくなければ救われない)の心を 棄てないといけないのである。 (こうでなければならない)と一方的に偏った気持ちを持っているとそれは執着になる。 キリストが「金持ちは救われない」といわれたのは、金に執着している人に対してであった。 足ることを知って心を安らかにして、それで金が余れば人のために使えばよいのである。 なけらばないで金にとらわれず、その代わりに自分の持ってるもの、即ち「心」で 相手を愛し救ってゆけばよいのである。 どちらもにもとらわれない心になってこそ「執着」がなくなったといえるのである。 釈尊は富貴になることを否定してはいられない。富の蓄積を図るためには浪費をするな といっていられる。 享楽にふけってはならぬといっていられる。 |
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正しく、熱心に仕事に励み 得た財宝の一部を人のために使う。これがお釈迦様の 教えの一端で、出家・在家それぞれの気根に合わせて、また在家の階層、職業にあわせて 比ゆを交えて分かりやすく、自在に法を説かれたといわれています。 商人に対して、富貴になってはいけない というと、儲けてはならない といっているようなもので 職業自体を否定することになります。 現代にも通じることは、正しい考えと、行為、知識を得て、熱心に励むことで 収入を増すことは、正しい行為といえます。 この仏足石は、そのようなお釈迦様の教えを忘れることなく、正しい道を経て 富貴になれるよう、そして人のお役に立てるよう、目標として「掲示」していただければ幸いです。 |
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