仏さまの足型 スジャータ寺院の仏足石

印度 佛陀伽耶 スジャータ寺院
仏さまの足型 乳牛・八大聖地

といわれる訳

スジャータ寺院仏足石拓本1  開運・健康の仏足石  (5世紀作)
ネランジャラ河のほとりには、お釈迦様に牛乳を捧げたスジャーターの寺院があり、佛陀伽耶で最も鮮明な仏足石があります。
 
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 スジャーター寺院 乳牛・八大聖地仏足石拓本(左足)
実物大(530×775mm) 税込価格¥29,800
縮小版(265×395mm) 税込価格¥18,000
 ↑現物には「見本」の押印はありません。


 開運・健康の()われ                              人間釈迦 高橋信次著より抜粋
 悟りを開く前の苦行の果てに行き詰まり苦悩をしているときに、スジャーターという少女に出会う………

 (注) ゴーダマ シッタルダー(お釈迦様の本名)
 
 ………城を出てから、はや6年がすぎた。

 しかしまだ何もつかんではいない。

 禅定といういわば激しい肉体行は、その長い歳月に比べると
 心の安らぎという目的からすれば縁遠いものに感じられるのであった。

 カピラの地下室で、一人瞑想にふけっていた頃の方が、今よりはるかに中身があったような
 気がしてならなかった。

 出城以来、6年目の終りが近づくにつれ、6年という時間と、悟りの質がどうしても結び合わなかった。
 果たしてこれでいいのだろうか、しばしばそうした疑問が修行の前に大手をひろげるのであった。

 そればかりか、かってのたくましい肉体はどこへやら、まだ30代のなかばだというのに、老人の
 ようにすっかり衰弱し、骨と皮の死を待つものの姿がそこにあるだけであった。

 ゆるやかに流れるネランジャラ河は、衰弱した肉体を清め、すすいでくれた。
 腰までつかって水面をのぞくと、そこに映った自分の顔は、まるで他人であった。

 わずか6年の間に、自分は他人になってしまった

 6年前も、今も、その自分になんの変化もないのに、肉体の方は他人になってしまった。
 恐ろしいといえば恐ろしいし、当たり前といえば当たり前だった。

 ある朝、ネランジャラ河につかって体を洗っていると、数羽の小鳥が河を横切り、岸辺の
 森に飛んでいった。ゴーダマの頭上を低くかすめ、喜々としてさえずり、はしゃいでいった。

 彼らには、悩みも、苦しみもないようであった。

 小鳥たちの鳴き声が、鼓膜にいつまでも残って離れなかった。
 
 ゴーダマは河から上がると自分も小鳥のように、自由に、大空を駆けまわりたいと
 思うのだった。小鳥がうらやましく、ねたましく思えた。

 しばらく牧草の砂地に腰をおろしていると、女の歌声が風に乗ってきこえてきた。
 その歌は高く、低く、天界の音楽のようにひびいてくる。

 ゴーダマはジッと耳をすませてその音楽に聴きほれた。

     弦の()は 強く締めれば糸は切れ
     弦の音は 弱くては音色が悪い
     弦の音は 中ほどに締めて音色がよい

     調子合わせて踊ろよ 踊れ
     みんな輪になり 踊ろよ 踊れ

 ゴーダマはハッとした。朝もやをついて流れてくる若い澄んだ女の美声は、ゴーダマの心を
 ゆり動かした。

 小鳥の自由をねたましく思ったその想いが一転して、修行者の自分に帰っていた。
 彼は全身を耳にした。そして、その歌に我を忘れた。

 東の空は今まさに山野をあかく染め、あの大きく、たくましい太陽が、天空にのぼろうとしていた。
 
 「弦の音は、中ほどに締めれば音色がよい」
 彼は、もう一度、歌の文句を、心の中で反復した。

 「………わかった。ああ、やっとわかった」
 いままで求めてきた謎が、この歌声によって、天啓のようにひらめき、氷解するのだった。

 カピラにいた当時、芸妓から借りてよく弾いたことのある竪弦の歌である、
 文句も知っている。 それが今の今まで思い出せなかった。

 彼女が口ずさむ歌声によって、6年の修行の謎がとけたのである。
 ゴーダマにとって、歌の主は、まさしく天女であった。

 太陽は、東の山野とゴーダマを見下ろしながら、ゆっくりと昇っていた。
 ゴーダマは腰を上げると、その歌声の方に向かって走っていた。

 声の主は、草むらのかげにつないである牛の乳をしぼっていた。
 乳をしぼりながら歌っているのであった。

 年の頃は16、7。身なりこそ粗末だが、面長で気品のある顔立ちであった。
 ゴーダマは、先方に気づかれないように、ゆっくりと近づき、彼女が歌い終わるのを待った。

 しおをみて、咳払いをしながら話しかけた。
 「よい歌を聞かせてくれてありがとう」

 彼女に向かって軽く会釈した。彼女は一瞬驚いた風だったが、その慇懃な態度に安心し
 はずかしそうにうつむきながら、
 「しぼりたての牛乳です。よかったら一口いかがですか」
 といった。

 そして、顔を赤らめながら、とりたての牛乳がはいっている瓶を持ち上げ、
 ゴーダマの鉢に注いでくれた。

 「ありがとう………」
 ゴーダマは、ひと言礼をいうと、あとは心の中で何度も感謝の言葉をくりかえすのだった。

 「ところでよかったらあなたの名前をきかせてください。名はなんというの」
 「ハイ、チュダリヤ・チュダータと申します」

 彼女は素直に答えてくれた。
 「お年は………」
 「17歳です」

 彼女は、はじめて顔をあげた。そして、ゴーダマをのぞきこむように見ていたが、
 急に何かにはじかれたように、1・2歩うしろに下がった。

 ゴーダマは微笑をうかべていると、彼女は瓶を脇におき、ひざまずくと、
 「修行者様は偉大なお方です。どうぞお許しください」
 と、まるで、モノノケにつかれたように、ゴーダマの足下にひれ伏していた。

 「チュダータよ、何も心配することはないのだ。私はコーサラ国のカピラ城の王子、
 ゴーダマ・シッタルダーという修行者だ、心配はいらぬ。さあ手を上げなさい」

 ゴーダマがこういうと、チュダータは彼を見上げ、
 「ゴーダマ様は光って見えます。まるで梵天様のようです」
 
 と、口をふるわせ、ゴーダマに向かって合掌するのだった。
 この姿を、コースターニヤたちが遠くから見守っていた。

 ………ゴーダマは、チュダータに例をいうと、五人の修行者たちのところにゆき、
 彼女からもらった牛乳を口にした。牛乳のうまさはまた格別だった。

 乾いた砂地にどんどん吸いこまれてゆくように体全体に滋養がまわってゆくようであった。
 ………


 
 このように、一杯の牛乳から肉体の大事さも理解し、心と体の調和が悟りに導くことを知り
 7日間の反省禅定を経て偉大なる悟りへと到達します。

 このことから、お釈迦様を悟りに道に導くキッカケをつくった、スジャータ(チュダータ)の威徳を偲び、
 
 悟り→開運・改革、
 栄養→健康  の仏足石として信仰されています。

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実物大(530×775mm) 税込価格¥29,800
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